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zoom RSS 藤原明「日本の偽書」

<<   作成日時 : 2005/08/15 15:46   >>

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日本の偽書

最近、いわゆる「古史古伝」のことが気になっていて、手ごろな案内書はないかなーと思って本屋の棚をながめていたら発見。「上記」「竹内文書」「東日流外三郡誌」など有名どころの概略がつかめて、ぼくの目的にはちょうどよく合った本だった。
筆者はどちらかというとジャーナリストであるようなので、「竹内文書」や「東日流外三郡誌」のように、近現代のスキャンダルを追う部分は大変おもしろく読めて説得力もあるのだが、学問的な記述を多く含む「先代旧事本紀」「先代旧事本紀大成経」に関する部分は「?」な感じがあった。

それにしても「東日流外三郡誌」をめぐるスキャンダルは調べれば調べるほどおもしろい。
規模は少し小さいかもしれないが、藤村新一の旧石器捏造事件と構図は似ているようだ。

地方のアマチュアが功名心などの動機で偽造・捏造を行う

成果を挙げたい学者が無批判にお墨付きを与え、さらなる偽造のための示唆を行う

学者の期待に応えるかのように、次々と新しい「発見」がなされる

学会の批判を受けないまま、マスコミがセンセーショナルに報道

町おこしをしたい自治体が飛びつく・・・>箱モノ建設

捏造された「新発見」が事実として一人歩きを始める

東日流外三郡誌事件が旧石器捏造事件と違う部分は、

  • 史実であると信じてしまった人はそれなりに多いが、教科書に掲載されるまでは至らなかった点
  • マスコミの指摘ではなく、学会からの批判で偽書であることがほぼ明らかになった点
  • 決定的な現場がおさえられないまま発見者が世を去ったこともあり、未だに信じている人もいる点

などであろうか。

東日流外三郡誌事件において、お墨付きを与える学者の役を果たしたのが、昭和薬科大教授(当時)の古田武彦氏であったわけだが、ぼくは小学生の時に彼の出世作「『邪馬台国』はなかった」を読んで、もちろん小学生のことだから仕方ないんだけど、内容をすっかり信じてしまい、夏休みの読書感想文まで書いたことがあるのだ。
ところがその後、図書館で安本美典氏(東日流外三郡誌についても偽書説側の代表格)による古田説への反論書「『邪馬壹国』はなかった」を発見して読み、蒙を啓かれたという流れとなる。あの本を読んで、初めて「本というのはぜったいに正しいことが書いてあるとは限らない」ということを知ったような気がする。(安本氏は安本氏でまた異端っぽい人みたいなんだけど。。)

東日流外三郡誌事件に関して、ネット上でいちばん分かりやすくまとめられていたのは下のサイト。
東日流外三郡誌」(『あれこれそれ博覧会』)
発見者の和田喜八郎氏が「古物商」であったことが、結局はポイントだったというミもフタもない話。
日本の偽書 (文春新書)

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唐の占領軍隊の駐留場所は大宰府?だったのでしょうか。何かそれに絡んで言葉地名などが残っていないでしょうか? 唐に絡むもの、唐の政治言葉・・・。一説では2000人程度の駐留だったとの説もあり。九州倭王朝が負けて勢力を衰えていった時期、九州では占領されてどのような扱いを受けていたのでしょうか?

一つの調査参考資料です。
九州年号中、最も著名で期間が長いのが白鳳です。『二中歴』などによれば、その元年は六六一年辛酉であり、二三年癸未(六八三)まで続きます。これは近畿天皇家の斉明七年から天武十一年に相当します。その間、白村江の敗戦、九州王朝の天子である筑紫の君薩夜麻の虜囚と帰国、筑紫大地震、唐軍の筑紫駐留、壬申の乱など数々の大事件が発生しています。とりわけ唐の軍隊の筑紫進駐により、九州年号の改元など許されない状況だったと思われます。
 こうした列島をおおった政治的緊張と混乱が、白鳳年号を改元できず結果として長期に続いた原因だったのです。従って、白鳳が長いのは偽作ではなく真作の根拠となるのです。たまたま白鳳年間を長期間に偽作したら、こうした列島(とりわけ九州)の政治情勢と一致したなどとは、およそ考えられません。この点も、偽作説論者はまったく説明できていません。
 この白鳳年号は『日本書紀』には記されていませんが、『続日本紀』の聖武天皇の詔報中に見える他、『類従三代格』所収天平九年三月十日(七三七)「太政官符謹奏」にも現れています

九州説と畿内説
2010/05/12 13:29

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